FP1級の難化は、制度の“わかりにくさ”の鏡かもしれない
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試験の難化に感じた違和感
「FP1級の合格率が下がったらしい」 そんなニュースを見たとき、ふと違和感がよぎった。 もちろん、試験が難しくなること自体は珍しいことではない。けれど、今回の“難化”は、単なる出題傾向の変化ではないような気がした。
それはまるで、社会そのものが“わかりにくく”なっていることの、静かな反映のように思えた。 税制、年金、保険、相続…制度は複雑さを増し、生活者にとって遠い存在になりつつある。 その“遠さ”が、試験の難しさにもにじみ出ているのではないか。
制度が複雑になる社会
税制は毎年のように改正され、年金制度は将来像が見えにくく、保険や相続も専門知識なしでは判断が難しい。 制度は、生活者の目線からどんどん遠ざかっている。
特に都市で暮らす人々にとって、制度は“自分の暮らしと地続きではないもの”になりつつある。 日々の忙しさの中で、行政の手続きや制度の仕組みは、どこか“別世界の話”のように感じられる。 スマホで何でも済ませられる時代に、紙の申請書や窓口の待ち時間は、現実感を失ってしまう。
制度は確かにそこにある。けれど、それが「自分の生活にどう関係するのか」が見えにくい。 この“見えにくさ”こそが、今の社会の複雑さを物語っているのかもしれない。
FPの役割の変化
かつてのFPは、制度の知識を「教える人」だった。 税率や控除額、保険の仕組みを正確に伝えることが、専門性の証だった。
でも今は、それだけでは足りない。 制度が複雑になればなるほど、「伝える力」や「共感する力」が求められるようになってきた。
生活者が感じる“もやもや”や“わかりにくさ”に寄り添いながら、制度の言葉を暮らしの言葉に翻訳する。 FPは、そんな“制度の翻訳者”としての役割を担う時代に入っている。
数字や条文だけでは届かない。 必要なのは、「この制度は、あなたの暮らしにこう関係しているんですよ」と、やさしく伝える力。 そして、「それって、ちょっと不安ですよね」と、共感できる感性。
都市生活者のリアルと制度のズレ
ネットで注文すれば、翌日には届く。 LINEで地域の人とつながり、スマホで家計簿をつける。 都市の暮らしは、スピードと柔軟さに満ちている。
けれど、制度はどうだろう。 行政の手続きは紙ベースで、窓口の受付時間は平日の昼間。 必要な情報はPDFの奥深くに眠っていて、探すだけで疲れてしまう。
暮らしはどんどん“軽く”なっているのに、制度は“重く”なっている。 このギャップが、生活者の「制度離れ」を加速させているのかもしれない。
FPは、その間に立つ存在。 制度の重さを、暮らしの軽やかさに合わせて調整する。 それは、単なる知識の提供ではなく、「感覚の橋渡し」なのだと思う。
FPは“制度の翻訳者”でありたい
制度は、ますます複雑になっていく。 でも、だからこそFPは、「わかりにくい制度を、わかる言葉で」伝える存在でありたい。
数字だけじゃなく、暮らしの実感を大切に。 生活者の不安や違和感に寄り添いながら、制度との距離を少しずつ縮めていく。
FP1級の試験が難しくなったことは、制度の複雑さを映す鏡かもしれない。 でも、私たちが向き合うべきなのは、“試験の難しさ”ではなく、“暮らしのわかりにくさ”だ。
そのわかりにくさに、そっと光を当てる。 それが、これからのFPの役割だと思う。
